コロンビア人は7月20日の独立記念日を祝う。この日は、1810年にボゴタの住民がスペインの支配に反対して街頭で抗議を始めた日にあたる。
このコロンビアの祝日は、スペインからの独立を記念するものである。この祝日の大きな魅力のひとつは、その世界的な広がりだ。コロンビアの歴史上、移民が多かったため、多くのパーティーが世界中の都市で開催される。
2020年に世界的な大流行が起こったため、ほとんどのコロンビア人はネット上で独立記念日を祝った。世界の一部ではパンデミックが衰えたため、世界中のコロンビア人は家族や友人と多くの祭りやパレードに参加することに興奮している。
私たちは、コロンビアの顧客、友人、従業員が独立記念日を祝うことを祈っている!
コロンビア独立記念日の歴史
スペイン人が初めてコロンビアに到着したのは1499年のことで、1510年に最初の定住地を築いた。しかし、国王チャールズ3世とスペイン政府は、植民地はスペインとの貿易しかできないと主張し、植民地の成長を制限した。
アメリカ独立戦争でスペインがアメリカ人を支援したことで課税が増え、その結果スペインへの恨みが高まった。
1808年、ナポレオン・ボナパルトはスペインに侵攻し、フェルディナンド7世を投獄した。ニューグラナダ(現コロンビア)を含むスペイン領アメリカの大部分は、ナポレオンの弟ジョセフ・ボナパルトの手に渡った。
1年後、ニューグラナダのカミロ・トーレス・テノリオは、スペインが先住民に対して繰り返し犯した罪について、『罪の追憶』(Memorial de Agravios)に記した。彼は、ニューグラナダの人々がスペインの統治に不満を抱いていたことを繰り返し述べた。テノリオは特に、コロンビア生まれのクリオージョが高官になれないことに言及した。
1810年7月20日までの数ヶ月間、コロンビアの多くの地域で反乱が起こり、軍政が宣言された。熱を帯びていく情勢を見ながら、政党のメンバーはいずれボゴタでも同じようなことが起こるだろうと予測していた。
クリオージョ、つまりコロンビアで生まれたスペイン系の人々は、蜂起が首都で始まることを確認したかった。そこで彼らは、よりによって植木鉢を使った計画を練った!
7月20日の朝、何人かのクリオージョは、地元の著名な実業家ホセ・ゴンサレス・ロレンテを訪ね、仲間のクリオージョに贈る植木鉢を貸してもらえないかと頼んだ。些細な頼み事だったが、彼らはロレンテが断るだろうと思った。
地元の伝説によると、彼は断り、クリオージョ人たちは植木鉢を盗んで路上で粉々にし、ボゴタでの暴動を扇動して人民政府を結成させたという。
しかし、コロンビアが共和国となり、スペインから正式に独立したのは1819年のことだった。
コロンビアの独立記念日を祝う6つの事実
コロンビアの独立記念日について、いくつかの楽しい事実を紹介しよう:
1.お祝いは世界中で行われている。
コロンビアのナショナルデーは、コロンビアの独立記念日としても知られ、多くのコロンビア人駐在員コミュニティの間でお祝いの機会となっている。祝賀行事には、軍事パレード、パーティー、民族音楽、伝統料理の饗宴などがある。
2.ロサンゼルスでは、最も大きなコロンビア独立記念日の祝賀行事が行われる。
カリフォルニア州は、コロンビア系アメリカ人の人口が全米で4番目に多い、コロンビア・ディアスポラの結節点のひとつである。
ロサンゼルスでは世界的に有名なフェスティバル・コロンビアーノが開催され、数千人の前でライブバンドやDJがパフォーマンスを繰り広げる大規模なパーティーが催される。このフェスティバルでは、コロンビア料理を味わうことができる。
3.コロンビア料理が目立つ。
コロンビアの独立記念日を祝う一つの方法は、バンデハ・パイサ、アヒアコ、アグアパネラといった 伝統的なコロンビア料理や飲み物を用意したり、試飲したりすることだ。
4.独立記念日は数ある祝日のひとつである。
コロンビアの祝日は、アメリカやヨーロッパのどの国よりも多い。
コロンビアでは1年間に18の祝日があり、独立記念日はその中でも最大の祝日である!世界でコロンビアより祝日が多いのはスリランカとインドの2カ国だけだ。
5.花火とダンスが主なアトラクションだ。
コロンビアの住民は通常、国中でパレードや行進をして独立記念日を祝う。
その他、花火を打ち上げたり、スポーツ観戦をしたり、コロンビアの伝統音楽を聴いたりするのも人気だ。
6.ロレンテの家を訪れるのも人気の祝い方だ。
植木鉢事件の舞台となったボゴタのロレンテ邸は、現在公式の「7月20日博物館」となっており、独立記念日に訪れる人気のスポットとなっている。